2013年 09月 15日
羽咋のトキ~ |
羽咋のトキを見て思う 本間勝美
米山 寛さん撮影
8月31日久しぶりの好天。米山さんに誘われ、羽咋のトキを見に行く。
眉丈山を背にして広がる田園地帯に着いたが、この広々とした田圃の中で果たしてトキを見つけられるのかと思ったが、米山さんの事前の情報か、はたまた彼の勘のさえか、ほんの15~6分の間に目当てのトキを見つけた。
この頃は一目トキを見ようと羽咋を向かうトキストーカーが横行しているようである。途中出会った富山ナンバーの真っ黒に日焼けした彼もその一人だろうか。
電線に止まるトキの真下で、農家の人が軽トラを止めて作業しているが、トキは一向に気にしている様子もなく、のんびりと羽繕いし大きなアクビまでしている。すぐ横の電柱にはカラスが一羽。更に横の電線にも4~5羽のカラスがいるが、トキもカラスものんびりと羽繕いに専念している。私には何とも不思議な光景に見える。こんな時、カラスは寄ってたかってトキをいじめ、悪さをするのが常のはずだが・・・まるでカラス一家の仲間に加えて貰っているかのように見えるのだ。
初めて見るトキの姿だが、正直言って実物を見てもあまり感動が無かった。人の手で育った箱入り娘故か、いまいち野性味に欠けるのである。よく見ると背中に針金のような細いGPSという器具が付いているが、今は電気が切れて機能していないという。それでも生涯付けたままではかわいそうに思う。
ところで、トキはコウノトリと同じく、悲しい過去を持つ。
トキは昭和9年に国の天然記念物の指定を受けたが、戦後間もなく開発により生息地が次々と消失し、公徳心の薄れから禁猟区内でも密猟が絶えなかったという。それでも、昭和14年頃は眉丈山付近で20羽以上生息していたという。昭和30~40年代に入ると、湖沼が埋め立てられ干拓で農地となり、水路・河川のコンクリート化、更には大量の農薬使用により環境が著しく悪化、餌となるドジョウ、カエル、メダカ等の水辺の生きものが激減し、絶滅の危機に追いやられるのである。
昭和45年、ついに保護飼育のため能登のトキは捕獲され佐渡に送られるが、一年後に事故で死に、日本本土、最後のトキは絶滅した。その後中国からトキの供用を受け、5羽のトキから日本での本格的なトキ再生事業が始まったのである。現在までに125羽が放鳥され、野外の自然繁殖もあり80羽程度が佐渡で生息しているという。<佐渡島トキセンターで聞く>
さて、羽咋のトキは、第一回の2008年に放鳥された一羽でメスの8才、まだまだ若くペァさえできれば繁殖も充分可能であるとのことであるが、果たしてオスのトキが来てくれるのか~
羽咋に住みついて100日超となった。羽咋市では愛称を募り、特別住民票を作る計画と聞く。彼女には、確か黒部でも愛称と住民票があるはず。複雑な気分で困惑しているのでは!?
ここに来るまでにはタカやキツネ、テン等に追われ、あちこちさ迷い、随分怖い目に会った事だろう。私には、そんな気遣いよりも彼女が本当に望んでいることは、ドジョウやカエル、メダカ等、水辺の生きものが多く棲む田圃や水路にしてほしいと願っているように見えるのだが。餌が多くなれば仲間のトキも風の便りで次々にやって来るに違いない。
それにしても、彼女がカラス一家の仲間入りは実に不思議である。仲間とはぐれ佐渡から本土の新潟、富山、石川とあちこちさ迷い「さすらいの旅烏」で、この地の羽咋で出会った優しいカラス一家の仲間となって羽咋市のお・も・て・な・しを受けるのか!?
それにつけても、金沢のダム建設によって生息地を追われた絶滅の危機のあるミゾゴイが頭をよぎる。この先、トキやコウノトリの二の舞にならぬよう切に願うばかりである。
米山 寛さん撮影
8月31日久しぶりの好天。米山さんに誘われ、羽咋のトキを見に行く。
眉丈山を背にして広がる田園地帯に着いたが、この広々とした田圃の中で果たしてトキを見つけられるのかと思ったが、米山さんの事前の情報か、はたまた彼の勘のさえか、ほんの15~6分の間に目当てのトキを見つけた。
この頃は一目トキを見ようと羽咋を向かうトキストーカーが横行しているようである。途中出会った富山ナンバーの真っ黒に日焼けした彼もその一人だろうか。
電線に止まるトキの真下で、農家の人が軽トラを止めて作業しているが、トキは一向に気にしている様子もなく、のんびりと羽繕いし大きなアクビまでしている。すぐ横の電柱にはカラスが一羽。更に横の電線にも4~5羽のカラスがいるが、トキもカラスものんびりと羽繕いに専念している。私には何とも不思議な光景に見える。こんな時、カラスは寄ってたかってトキをいじめ、悪さをするのが常のはずだが・・・まるでカラス一家の仲間に加えて貰っているかのように見えるのだ。
初めて見るトキの姿だが、正直言って実物を見てもあまり感動が無かった。人の手で育った箱入り娘故か、いまいち野性味に欠けるのである。よく見ると背中に針金のような細いGPSという器具が付いているが、今は電気が切れて機能していないという。それでも生涯付けたままではかわいそうに思う。
ところで、トキはコウノトリと同じく、悲しい過去を持つ。
トキは昭和9年に国の天然記念物の指定を受けたが、戦後間もなく開発により生息地が次々と消失し、公徳心の薄れから禁猟区内でも密猟が絶えなかったという。それでも、昭和14年頃は眉丈山付近で20羽以上生息していたという。昭和30~40年代に入ると、湖沼が埋め立てられ干拓で農地となり、水路・河川のコンクリート化、更には大量の農薬使用により環境が著しく悪化、餌となるドジョウ、カエル、メダカ等の水辺の生きものが激減し、絶滅の危機に追いやられるのである。
昭和45年、ついに保護飼育のため能登のトキは捕獲され佐渡に送られるが、一年後に事故で死に、日本本土、最後のトキは絶滅した。その後中国からトキの供用を受け、5羽のトキから日本での本格的なトキ再生事業が始まったのである。現在までに125羽が放鳥され、野外の自然繁殖もあり80羽程度が佐渡で生息しているという。<佐渡島トキセンターで聞く>
さて、羽咋のトキは、第一回の2008年に放鳥された一羽でメスの8才、まだまだ若くペァさえできれば繁殖も充分可能であるとのことであるが、果たしてオスのトキが来てくれるのか~
羽咋に住みついて100日超となった。羽咋市では愛称を募り、特別住民票を作る計画と聞く。彼女には、確か黒部でも愛称と住民票があるはず。複雑な気分で困惑しているのでは!?
ここに来るまでにはタカやキツネ、テン等に追われ、あちこちさ迷い、随分怖い目に会った事だろう。私には、そんな気遣いよりも彼女が本当に望んでいることは、ドジョウやカエル、メダカ等、水辺の生きものが多く棲む田圃や水路にしてほしいと願っているように見えるのだが。餌が多くなれば仲間のトキも風の便りで次々にやって来るに違いない。
それにしても、彼女がカラス一家の仲間入りは実に不思議である。仲間とはぐれ佐渡から本土の新潟、富山、石川とあちこちさ迷い「さすらいの旅烏」で、この地の羽咋で出会った優しいカラス一家の仲間となって羽咋市のお・も・て・な・しを受けるのか!?
それにつけても、金沢のダム建設によって生息地を追われた絶滅の危機のあるミゾゴイが頭をよぎる。この先、トキやコウノトリの二の舞にならぬよう切に願うばかりである。
by mizogoi
| 2013-09-15 17:09
| 会員のページ
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Comments(1)
Commented
by
三浦
at 2013-09-15 17:45
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野性味は無くても「ときめきちゃん」に会えると嬉しくなります。
本当に生涯発信機を付けたままはかわいそうですね。
ミゾゴイもトキ、コウノトリのようになりませんように。
本当に生涯発信機を付けたままはかわいそうですね。
ミゾゴイもトキ、コウノトリのようになりませんように。
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